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大阪天満宮に行ってきました
2023年 6月 16日 ふーりん
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
みなさん、こんにちは。
歴史オタク、風林火山の「ふーりん」です。
年の初めには毎年参拝し、レベストのこの1年の安全と繁栄を祈願し、
神棚を本社にお祀りし、毎月手を合わせ、私たちをお守りいただいている
大阪天満宮の神様
今回は大阪天満宮の神様とその歴史を知りたいと思いました。
調べてみると、大阪天満宮の創始(御鎮座)は、
なんと今から1300年以上前の西暦650年と
大変古いものでした。
西暦650年といえば、
天満宮の御祭神である菅原道真公の時代よりもはるかに前となります。
「これはどういうことなのだろう」と思って詳しく見てみると、
当時の都である大阪の難波宮(なにわのみや)で、
都の西北を守る神として「大将軍社」という神社が
この地に祀られたことが当社のそもそもの始まりとなっているそうです。
つまりこの地には「天満宮」が置かれる約300年前から、
「大将軍社」という神社が御鎮座されていたということです。
以来この地は「大将軍の森」と称され、
また後には「天神の森」ともいわれ、現在は「南森町」として
その名を残しているとのこと。
南森町の「森」は神社の鎮守の森からきていたんですね。
(初めて知った。)
そして、平安時代になり、
西暦901年、
菅原道真公が太宰府へ向かう途中、
旅の無事を祈願するために
この「大将軍社」をお参りになった。
その後、道真公は、太宰府にてお亡くなりになり、
それから50年後の西暦949年、
この大将軍社の前に一夜にして七本の松が生え、
夜毎にその梢を光らせたという奇譚が都に伝わり、
それを聞いた当時の天皇の勅命によって
この地に天満宮が建立されました。
以後、「大将軍社」は摂社として祀られ、
新たに「天満宮」が中心の社となり現在に至っています。
そのようなわけで「大将軍社」は
天満宮の摂社となりましたが、
「大阪天満宮」では毎年元日の歳旦祭の前に、
「大将軍社」にて「拂暁祭(ふつぎょうさい)」というお祭りを行っていて、
その神事の中で「租(そ)」と言ういわゆる借地料を納める習わしになっているそうです。
天満宮にとって大将軍社は地主様にあたるということなのでしょうか。
神様の間でもきちんと礼を尽くされているところがとても興味深いと思いました。
また、本社にはさらに多くの神様が祀られていましたので、
それぞれ参拝しました。
まず、天照皇大神様と豊受皇大神様。
伊勢神宮の内宮と外宮の御祭神です。
続いて、八坂社の素盞雄命様
続いて、住吉大社の住吉大神様
(底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命)
白米稲荷社
(御祭神:稲荷大神様。伏見稲荷大社の奥院だそうです)
他にも多くの神様が祀られていました。
大阪天満宮は創始以来1373年という
長く奥深い歴史を感じる由緒ある神社でした。
レベストジャー・イエロー
ふ~りんさん
今回は、大阪天満宮ですか!
学問の神様で有名ですよね
大きな学生帽が有りましたよね・・・。
登竜門くぐりってお参りしたあとは
大阪天満宮北側にある星合茶寮さんの
すべらんうどん食べて帰ったわ~~~!!
最近ではお笑いをと天満天神繁昌亭で
大人な笑いをと足を運ぶのも通ですよ!!
編集戦隊レベストジャー!!!!!
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コメント
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天満宮の本殿の裏?に小さい社が沢山あるのは知ってたけど、こんなに色々な神様が祀られていたんですね!
一度に沢山お参りできてお得?
さすが八百万の神の国…
そうなんですよ。たくさんの神様がいらっしゃって。
しかも、みなさんそうそうたる神々様なんですよ。
全部は無理でしたが、気づいた神様にはそれぞれお参りして来ました。
天神さんがあるところには
「天神の森」がありますね
今も西成に「天神ノ森」があって
そこは私の生まれた街でもあります
「大将軍社」
名前は見てましたが
書かれているのは読んでいませんでした
そこに大阪天満宮のルーツがあったとは。。。
その時代は天満宮の周囲は
内海だったのでは?と思って調べると
天満のあたりまでが「天満砂堆」という
上町台地の麓に堆積した砂で
砂嘴ができていたようですね
そうなんですよね。いまの天満宮の場所は当時は海際だったはずで、船着き場のような状況ではなかったかと私は勝手に想像しています。
それゆえ住吉大社の御三神が御鎮座されているのではと想像がふくらんでいます。
そう考えると、菅原道真公が当地に立ち寄られて旅の無事を御祈願されたのも納得できますし。
大将軍社は方位神である大将軍を祀り、難波宮(都)の北西の守護神であったとともに船旅の安全をお守りするお社でもあったのではと、マニアックな想像の世界に入り込んでいます(笑)
神社の御由緒について調べていくのは大変興味深いと思いました。