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ツキのポンティ
2023年 1月 16日 ツキ
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
真の問題は、かくも異なったさまざまな文化が、
なぜ同一の探究に身を委ね同一の課題点をおのれに課するかを、
理解するという点にある。
これは昨年11月24日、朝日新聞の一面にある
「折々のことば」というコーナーで紹介された
フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティのことばです。
この日の夜、私達夫婦はこのことばをきっかけにひと悶着ありました。
このメルロ=ポンティのことばを全くもって理解できなかった私。
一方、思想哲学に明るい夫はメルロ=ポンティも知っていて、
さらにこのことばの意味もわかると。
(夫曰く我イギリスの国立大学で修士号を取得したものなりけり)
理解できない私を夫がいじります。
不機嫌になった私は夫をベランダに閉じ込めようとしました。
このままでは夫婦仲に亀裂が入ってしまう気がしたので、
私はこのことばを理解する努力をすることにしました。
夫もそんな私に協力してくれて、
一緒にこのことばについて考えることになりました。
まず、このことば、
というかこの文章の難しいところは、
哲学というのは決して誤解されないよう、
わかりにくくても、
厳密な表現を選ばなければならない。
また翻訳も、訳者の恣意的な解釈ではなく、
原文の意味そのままを日本語で表現しなければならない。
そういった制約があるので、
どうしてもいびつな文章となってしまうことがある。
そして、これは大学入試の現代文と同じで、
自分の気持ちや印象が入ってはならず、
文面のみから意味を取らなければならない。(by夫)
わかった。
なぜこの文章がスッと頭に入ってこないのか、は、わかった。
にしても、まだまだ意味が理解できない私は、
このことばの創造主メルロ=ポンティについて調べてみることにしました。
どういった人物で何について哲学していたのか。
それが理解のヒントになるのではと思いました。
メルロ=ポンティについて解説している哲学書が3冊、
ちょうど夫の本棚にあったので私はこれらを読んでみることにしました。
(夫曰く我イギリスの国立大学で修士号を取得したものなりけり)
3冊読んでわかったこと。
19世紀末に『現象学』
(人間の経験の構造を分析して実在するものや真理を追求する学問)が提唱され、
20世紀始めにこの考えに影響を受けたメルロ=ポンティが『身体的実存』
(人間は頭で考えるより先に身体が勝手に動きそれが習慣となっているという考え)や
『習慣の更新』(状況によって身体は都度対応を求められ、
それによって身体の自発的反応「身体図式」が再構築されること)を考えた。
ちょっと話はそれますが、
この考えは現在のロボット工学にも通ずる内容らしくて、
以前のロボットって坂道を前にすると
坂の角度などを見て足をどのように動かすかを計算していたけど、
今のロボットは足が坂道にさしかかってから
どのように動くかを計算するらしいですよ。
話を戻して、『自由と状況は相互に依存・拘束する』
(ある人の自由(行動)はその人が置かれている状況により選択が変わる)という考えも提唱。
例えばある兵士が敵に囚われ拷問を受ける。
兵士は拷問を逃れるために秘密を話すという自由がある一方で、
自国の仲間のためを思い秘密を話さないという自由もある。
前者は拷問を受けるという「目の前の状況」だけに身を置いている。
後者では自国の仲間と自分をつなげ「広い状況」に身を置いている。
これが「自由と状況は相互に依存・拘束する」という考えらしい。
ではもう一度、例のことばを考えてみましょう。
真の問題は、かくも異なったさまざまな文化が、
なぜ同一の探究に身を委ね同一の課題点をおのれに課するかを、
理解するという点にある。
・・・。
・・・わかりそうでわからない。
(私が馬鹿たれなのでしょうか)
仕方なく夫に意味を聞きました。
「要は『なぜ色んな文化を持った人々が同じ事に対して疑問を感じるのか。
それを理解することが問題、テーマである』やな」とのこと。
私(え、それでいいの?)
夫に噛み砕いて言われてやっと理解できた私。
意味がわかってしまうと、なんてことない、
簡単な文章のような気がしてきました。
しかし夫が噛み砕いた言葉はメルロ=ポンティの思想を
厳密に表現したものではないんですよね~
まだ考える余地はありそうですね。
ということで、今回も私は夫のお陰でまたひとつ賢くなりました。
(夫曰く我イギリスの国立大学で修士号を取得したものなりけり)
(↑豆知識ですがイギリスの大学って99%国立大学なんですよ。
更にいうと夫の専攻はファッションですw)
さて、
私の次の課題はメルロ=ポンティが提起した問題の答えを求めることでしょうか。
図書館で彼の本を読んでみようかな。
たまには哲学について考えあるのも楽しいですね。
では最後に。
コギトエルゴスム!
レベストジャー・イエロー
ツキさん
哲学ですか?
哲学とは「追求すること」と習った記憶が・・・。
「〇〇とはなにか」みたいな何かを追求!
んー難しい~!!
哲学か~
ツキさんは図書館にこもって
哲学してください!
自然とは
世界とは
人間とは
社会とは
いやメルロ=ポンティを追求するんですよね
哲学してください!
そしてまた、教えてください。
「我思う、ゆえに我あり」
編集戦隊レベストジャー!!!!!
投稿者プロフィール
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業務部の頑張り屋「ツキ」。英会話にハマり中。いつか海外に住みたいのかな。ほんわかした雰囲気は彼女の持ち味です。
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コメント
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考えることも哲学的考えも嫌いではない寺ママも、今回の議題たる文章は一読して「は?」ってなりました。
この違和感はなんだ?もう一度読み返すと、この文章の主語が分からない。
「真の問題は…」と始まるのだから真の問題が主語だけど「真の問題」ってなんやねん!
「問題」とは何かについての問い、または課題点ではないかと思うわけさ。国語辞典引いてないけど。
だから「真の問題」の前に「何の問題」について語ってるの?ってなって、何が言いたいか分からない…
何や夫婦で小難しいこと考えるんやなぁ。
寺パパやったら、一瞬で思考停止やわw
寺ママさん(*´꒳`*)
私も寺ママと同じように考えてました〜このお方は何について語っているのかと。。
夫に要約してもらった時はなんだか腑に落ちないような気もしましたが、
より一層メルロ=ポンティと哲学について興味が湧いたのは確かです!
私は物事に対してあんまり考えないたちなので、たまに夫婦でこういうやりとりがあるのはありがたいです。
自分が如何に何も考えずに生きてきたかがわかる(*´꒳`*)(開き直り)
哲学は特段興味があるというわけではありませんが
学生時代授業で少し紹介された時におもしろいなと思った記憶があります。
一文の引用だけ読むのと一冊の本全体を読むのとではまた文章の印象や解釈が
変わってくることもあると思うので、いつかメルロポンティの本も読んでみたいです!
たけるさん(*´꒳`*)
機会があればぜひ読んでみてください(*´꒳`*)
この前、家の近所の図書館に行ってみました。
メルロポンティの本はなかったけど、現象学をとなえた
フッサールという方の本を手に取ってみたんだけど、
目次の内容から難しくて心挫けそうになったよ。。。
「夫をベランダに閉じ込めようとしました。」
今の時期はさむいですよーw
夏なら良いのかもしれませんね。
学問は大きく「論理学」と「哲学」に二分されます。
物事、事象に筋道を立てて説明をすることが「論理学」で
それ以外が「哲学」です。
つまり
「哲学」というのは筋道を立てたり
理屈を積み上げた説明ができないということで
でもその言葉や事象そのものが真理をとらえているので、
言葉であればそれをそのまま聞く、読むという話になります。
絵画やお経なんかもそうですね。
日本の勉強はそのほとんどが「テスト」をするために
答えを導き出すことに重きをおかれるので「論理学」になります。
文系も理系もほとんどが論理学に落とし込まれてしまう。
そのため日本人はそういう思考に慣れすぎています。
文学や音楽やファッションも宗教も哲学要素が強いですが
それを筋道を立てて説明しようとする
技術論や宗教学などになるとそれはもはや論理学です。
本当なら「理系=論理学」「文系=哲学」と
日本でもせめて大学くらいはこう分かれて欲しいですね。