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振り向くな君は美しい
2020年1月17日 ウラチャン
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皆様、おはようございます
本日はウラチャンが担当させていただきます
さてお正月気分も抜けて
仕事モードになっている今日このごろですが、
いかがお過ごしでしょうか?
お正月といえば・・・
いろいろなスポーツイベントが開催されますね
箱根駅伝
ニューイヤー駅伝
高校ラグビー
大学ラグビー
サッカー天皇杯
高校サッカー
ライスボール(アメフト)
などなど
お節料理に舌鼓を打ちながら
怠惰な格好で炬燵に潜り、
キラキラ輝くアスリート達を眺める・・・
あぁ眩しい
そして美しい
「振り向くな君は美しい」
これは全国高校サッカー選手権の大会歌です
皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか
1月17日
今日は少しだけ振り向かせてください
僕は中学2年生の時に進路を決めた
全国でも名の知れた兵庫県のサッカーの強豪校に行くと
中学時代は兵庫県大会でも優勝もした、
地域の選抜メンバーにも選ばれた、
背番号9
チームの得点王は僕だった
高校1年生
念願の強豪校に入学し
親元を離れ寮生活を送り、ただサッカーに打ち込む
千葉県、神奈川県、広島県と
近畿圏だけではなく全国から優秀な選手が集まっている
アイツ同い年・・・なの?
僕の自信は見るも無残に砕け散った
とにかくヘタクソは練習するしかない
3年生のときにメンバー入りして全国大会に出る
1、2年時はその思いだけで練習を続けた
高校3年生 夏
全国高等学校総合体育大会(インターハイ)
兵庫県大会決勝
僕はベンチに座っていた
2-0でリードしていた後半20分
ほぼ勝負は決していたが出番が来た
結果は3-0で全国大会への切符を手にした
3点目は僕だ
全国大会を決めた試合の翌日
監督に呼ばれた
いつもなら入ることが憚られる監督室だが
この日ばかりは意気揚々と監督室へ向かった
何せ僕は昨日ゴールしたんだ
そろそろ受験勉強したらどうだ
監督は確かにそう言った
つまり、もうサッカーは辞めろと
その後どんな話をしたかは覚えていない
監督室を出て、チームのミーティングをすっぽかし
寮の部屋で泣いた、自分でも驚くほど
小学4年からサッカーを初めて
1週間もボールを蹴らなかったのは
後にも先にもこの時だけだった
サッカーを辞めようか・・・
高校3年生 冬
僕は国立競技場のピッチに立っていた
全国高校サッカー選手権の開会式で
寒空の下、真新しいユニフォームに身を包み
仲間たちと胸を張りトラックを行進し、
青々とした芝のピッチに足を踏み入れた
あの興奮と感動は今でもはっきり覚えている
僕の人生のハイライトだ
背番号14
レギュラー番号ではないが、上出来だ
全国大会が終わり
部活を引退し、退寮して実家に戻って数日後
1月17日 阪神大震災が起きた
神戸市内にあった高校は周辺の被害も甚大で
学校は休校になり、最後に学校に行ったのは
卒業式の日だ
やはり神戸の被害は想像以上で、
家族が犠牲になったもの、
自宅が倒壊したもの、
僅か2ヶ月で平穏を取り戻せる訳はなかった
それでも僕たちは
再会に安堵し、互いを励まし、そして前を向いたんだ
卒業式が終わり
置きっぱなしだった荷物を両手いっぱいに持ち
運転再開の見込みの立たない線路沿いを
何キロも歩いて帰った
「振り向くな君は美しい」
この曲を聞くだけで涙が出そうになる
僕も随分歳をとったらしい
サッカーを辞めろと言われたあの夏のことも
今は理解できる
数々の名選手を育てた監督の目には
選手の技量や性格で将来性がわかるのだろう
と言うよりも、わかってしまうと言ったほうが
適切なのかもしれない
監督が僕の将来を考えて出したくれた
結論だったんだ
今日この日にブログの順番が回ってきたのも
何かのメッセージかも知れない
努力と葛藤の青春の日々を懐古主義的に
あの頃は良かったとただ懐かしむだけの僕に
振り向くな、前を見ろと
阪神大震災から25年
犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに
被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます
失礼ながら、ウラチャンのレブログでグッときたのはこれが初めてかもしれない。。(所々で「心が無いと言われているあのウラチャンが、、涙製造機能あったんだ・・」とか思ってしまったのは秘密)
阪神大震災の瞬間、奈良県に住んでいた私はまだ小学生でした。あまり覚えていないのですが、当時の事を思い出そうとするといつも同じ光景が浮かび上がります。それまであんな大きな揺れは体験した事がなかったので、どうすればいいか分からず揺れが過ぎ去るまでただただ布団の中に潜り込むしかできなかった私。そんな私の目の前にあった大きなタンスが倒れないように、あの揺れの中1人で必死に押さえてくれていた華奢な母の姿。「母は強し」を目の当たりにした瞬間でした。(父も同じ部屋で寝ていましたが、全く動けなかったようです^^;)
あれからもう25年。私も今もし何かあったら、母のように迷わず家族を守れるだろうか。身体が勝手に動いたりするのかな?
私にとっての1月17日は、毎年そんな事を考えさせられる日になりました。
(あ、サッカーに青春を捧げたウラチャンの輝かしい高校時代については一切触れられずゴメンナサイ^^;)
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「スマート」あらため「ウラチャン」。いつまでもサッカー少年の心をもつアラフォー男子。「おもろい事」を探すのが日課。
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